グラスヒュッテの時計作り 歴史概説

グラスヒュッテの時計作りの歴史は、ドレスデンの時計職人、フェルディナンド・アドルフ・ランゲがエルツ山麓の小さな町に移り住み、A.ランゲ社を創設した1845年にその起源をさかのぼります。1年半にわたる交渉を経てついに国庫の融資を獲得したランゲは、スイスを旅する数年間に慣れ親しんだ分業を基礎とする時計製造工房をグラスヒュッテに設立しましたが、スイスで一般的だったシリンダー脱進機による時計ではなく、アンクル脱進機によるものを考えました。ランゲは、貧困化した元炭鉱町に住む若者たちを訓練し、ネジ職人、歯車職人、香箱職人、ヒゲゼンマイ職人、針職人、刻印職人、ケース職人に育てました。徒弟期間を終了した彼らは、独立して仕事をしながらランゲに部品を供給するようになりました。こうしてドイツの時計製造インフラは急速に成長し、時計会社の設立を促したためにその数は増え続け、最終的にドイツ全土の中枢を担う時計師訓練校をグラスヒュッテに設立することになりました。ドイツ初の時計師学校は、グラスヒュッテの時計職人、モリッツ・グロスマンを校長として1878年に指導を始めました。一期生18名の中には、ジュネーブ出身の若者も2名含まれていました。グラスヒュッテで時計職人を目指す留学生の出身地として、スイスは数十年にわたり、最も際立つ存在でした。

当時、時計作りは急速に伸長する産業でした。米国やヨーロッパに鉄道が導入され、人の移動が盛んになると、日常生活で正確に時間を守る手段が必要になりました。1860年代初頭には、すでに80人の時計師がグラスヒュッテの4社向けに年間約800個の時計を製造していました。ヨーロッパの他国には、時計と並んで部品やツールも輸出しましたが、米国には通関制限のため、ケースなしで未完成のムーブメントしか輸出できませんでした。しかしこれは、長年グラスヒュッテの時計職人たちの安定した収入源となりました。ニューヨークのティファニーも、グラスヒュッテのA.ランゲ&ゾーネの顧客だったのです。

技術的にも革新家だったランゲの目標は、最大の信頼性を届けつつ洗練とエレガンスを実現することでした。部品の寸法にメートル法を採用し、ムーブメント用カバーのブリッジによる一般的な設計を3/4プレートに変更し、トッププレートに巻き止め機構を埋め込み、カギなしで機能する安全かつ正確な巻き上げ方式を開発しました。また1870年代初期から、グラスヒュッテの時計にはサンバーストカットで装飾が施されます。これは中央から放射状に広がるカットで、時計を傾けると光の入射角が変化し、文字盤が回転するように見える仕上げです。そして1874年には、グラスヒュッテで女性向け時計、25ミリ径の秒針付きモデルが作られました。

グラスヒュッテの時計産業は、米国のウォルサムが1876年万国博覧会で発表したようなもっと幅広い市場向けの安価な時計の機械による連続製造に長い間抵抗を続け、そこから身を守ってきました。とりわけ、精密懐中時計の市場リーダーだったA.ランゲ&ゾーネは、グラスヒュッテ時計を技術的に単純化する、あるいは輸入品を利用してもっと安価に製造しようとする20世紀初頭の試みに繰り返し反対しました。しかし時代は移り変わって戦争が始まり、グラスヒュッテの製造所が財政的に持ちこたえるには、伝統的な時計製品群だけでは不十分でした。そして限られた市場向けの高級時計作りを一筋に貫いたグラスヒュッテと同地の事業は1914年に崩壊したのです。多数の労働者がやむを得ず解雇され、グラスヒュッテの各工場は、軍用機器を含む軍需注文を通じて、かろうじて生き延びたに過ぎませんでした。

1918年以来、グラスヒュッテの時計師たちは、競い合って共同製造事業によるもっと安価な懐中時計の販売を試みましたが、生産数の増加にもかかわらず、経済危機でこの試みは失敗しました。Präzisions-Uhrenfabrik e.G.m.b.H.社の破産財団から、Uhren-Aktienfabrik Glashütte (URAG) とUhren-Rohfabrik Glashütte (UROFA) の両社が1926年に設立されました。スイスの人材、輸入品、そして後には政府補助金の援助も得て、独立した腕時計用キャリバー製造施設の基礎を両社がドイツで築いたのです。

第二次大戦中、グラスヒュッテの民間用腕時計製造はナチスに抑圧され、UROFAとURAGのリソースの大部分は飛行用クロノグラフの製造に転用されました。A.ランゲ&ゾーネでは、航海用クロノメーターに重点を移動しました。グラスヒュッテで強制労働が使用された記録も残っています。最大3,000名の捕虜が12時間交代で、精密機器工場や時計工場で働かされ、クロノメーターだけでなく遅動ヒューズも製造しました。グラスヒュッテ・ドイツ時計博物館では、これについて研究を続けています。

1945年、ソビエトの軍事政権がグラスヒュッテ時計産業をほぼ完全に解体し、賠償物資を得ました。残った部署は収用・併合され、1951年に東ドイツの国有企業、グラスヒュッテ国営時計会社 (GUB) が誕生しました。自社製キャリバーによる機械式腕時計を製造した同社は、1960年代になると自動巻き、具体的にはSpezimaticシリーズの超平坦な特別の自動巻きキャリバーの製造も開始しました。クォーツ式腕時計、マリンクロノメーター、その他の機器も製品群の一部となり、商品の大部分は輸出を目的とするものでした。

1990年、ベルリンの壁の崩壊後、GUBの民営化を信託公社が引き継ぎ、数多くの新しい会社が創業してグラスヒュッテの腕時計作りの歴史を加速しながら今日に至ります。グラスヒュッテを見下ろす歴史に名高い天文台も再建され、運営を再開しました。ここに設置されたクロノメーター検定試験場も、グラスヒュッテの精密腕時計製造の伝統を生かし続ける重要な一歩となったのです。

由来と名跡、そして伝統の保護

「Glashütte」の読み方は?

「Glashütte」のドイツ語ウムラウト「ü」は、英語圏の腕時計愛好家には発音が難しいものです。実際、英語には「ü」に相当する音素がありません。この発音にトライするには、口元を「ウー」(ドイツ語の「u」)の形にしながら同時に「イー」(ドイツ語の「i」)を発音しましょう。音素記号に慣れ親しんだ人には「ɡlaːshʏtə」という表記も可能です。心配なら、「ヒル (hill)」の発音で「グラスヒッテ」という方が「フーディ (hoodie)」の発音で「グラスフッテ」というよりも近いと私たちは感じますが、きっと好みの問題でしょう。

「Glashütte」の意味は?

ドイツ語の「ガラス工場」で、ガラス製造・加工施設のことです。ガラス製造には、砂、ナトリウム加工物または炭酸カリウム、長石、石灰が必要なため、中世以来、ガラス工場の大部分は山地の森林地帯に建てられました。ドイツ語圏には「Glashütt」、「Glashütte」、「Glashütten」という名の町や地名がたくさんあります。

ゼジッシェ・シュヴァイツ=オスターツゲビルゲ地方に位置する小さな町、グラスヒュッテの名も、おそらく15世紀のガラス工場に端を発するものでしょう。16世紀前後のグラスヒュッテでは、銀鉱石の採掘が行われ、この地域は急速に富裕化しましたが、それも短期間のことでした。銀鉱床がすぐに掘り尽くされてしまったからです。銅鉱はやや生産性が高かったものの、全人口に十分な収入源にはならず、1875年には採掘が完全に途絶えました。それに代わって、ザクセン州グラスヒュッテは、当時すでに時計作りの町として名を上げていたのです。

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「グラスヒュッテ製の時計」とは?

「グラスヒュッテ製の時計」とは何か-そして究極的には、何がグラスヒュッテ製の時計でないのか-という疑問への答えは、120年前の時計産業がすでに求めていたものです。どこか他の場所でも作れるような一定の特徴がある時計でしょうか? それとも、一定の性能水準を保証する時計でしょうか? つまり腕時計に「グラスヒュッテ」という言葉を付けると、それは製造地、種類、それとも品質の印なのでしょうか? 現在は、その3つがすべて正解と言えます。しかし、まず20世紀初頭の「グラスヒュッテ規定」を目指し、その100年後に再び、法的拘束力のある「グラスヒュッテ規則」を目指す闘いは厳しく、苦い結果に終わることも多々ありました。これは、グラスヒュッテがまず技術的な水準を打ち立て、それから経済的水準を達成したことを物語っています。

グラスヒュッテ規定

「グラスヒュッテ規定」は、1930年にドレスデン商工会議所が「少なくとも本質的な部分」をグラスヒュッテで製造し、高精度の緩急針を備え、「時計として数十年にわたって安定した性能を示した」時計だけを「グラスヒュッテ精密時計」と呼ぶことができる、と定めたものです。次に、何を「精密時計」と見なせばよいかが検討され、当時一般的だった懐中時計について、ドイツ時計師組合が1904年、「最高品質の受石、鍛造ヒゲゼンマイ、温度補正切りテンプを備えなければならない。すべての姿勢と温度で極めて精密に緩急調整されるため、ドイツまたはスイスの天文台の精度証明を取得可能であること。」という概要をまとめました。この規則を確立する必要があった理由は、「ステンシルウォッチ」製造法といった新しい技術が広がり、ますます自動生産化が進む中、増大する需要に事前組み上げの安価なムーブメントで応じるようになった一方、スイスやドイツの複数の時計会社は、自社の利益を目的にグラスヒュッテの名跡を搾取し、未完成のムーブメントにグラスヒュッテの特徴を付け足していたからです。伝統企業のA.ランゲ&ゾーネ社が1909年、Nomos-Uhr-Gesellschaft Guido Müller & Co.を相手取り、グラスヒュッテ製の安価な懐中時計を販売したと訴訟を起こすと、グラスヒュッテ製の時計の特徴に関する疑問が初めて裁判所で論議されました。しかし問題は解決せず、裁判は和解に終わりました。数年後、A.ランゲ&ゾーネ社は、スイス系ドイツ企業のアルピナ・グラスヒュッテ社とドイツの精密懐中時計工場J.アスマン・グラスヒュッテ社を相手取り、スイス製の未完成ムーブメントを使用したことを理由とする不当競争の訴えを起こしましたが、その時計の品質について専門家が問い正すことはありませんでした。当時、グラスヒュッテ固有の精密技術を守りながら競合力を維持する闘いは困難であり、1930年のグラスヒュッテ規定でも、製造のどの部分を「本質的」と見なすのかという疑問には答えを出しませんでした。

グラスヒュッテ規則

1990年以降、グラスヒュッテの腕時計産業に新たに登場した企業の多様性の中でも、「グラスヒュッテ」の品質保証に関する疑問が提起され、裁判を経てついに2022年、立法者が答えを出しました。2022年2月22日から、グラスヒュッテで製造したドイツの腕時計は、グラスヒュッテ規則による法的保護を受けることになったのです。グラスヒュッテ規則に基づく保護を受ける腕時計は、最低でも「必要不可欠な製造工程」の50%をグラスヒュッテで完了したものでなければなりません。そうして初めて、例えば文字盤などに「グラスヒュッテ」という製造地を記銘することが認められるのです。「必要不可欠な製造工程」の意味も明確化され、「ムーブメントの製造およびケーシング作業ならびに腕時計の最終検査」と定義されました。グラスヒュッテ町の境界内ですべて完了しなければならないのは、ムーブメントの組み上げおよび始動、微調整、文字盤の組み上げ、針の取り付け、そしてムーブメントのケーシング作業です。ノモス グラスヒュッテの機械式腕時計は、グラスヒュッテ規則の定義に従い、深層的な付加価値を最大95%まで実現します。ノモスの高品質機械式腕時計は、最も微小な部品から革新技術によるキャリバーの開発、ムーブメントの始動に至るまで、175年前にドイツ時計製造の中心となり、今日の世界で最も重要な腕時計製造地の一つとなった場所で実施されるのです。

受賞歴を誇るノモス グラスヒュッテの腕時計

グラスヒュッテのブランドは?

ザクセン州グラスヒュッテで175年以上も続く時計作りの歴史を振り返ると、グラスヒュッテの伝統に従って時計を製造したブランドは多数あります。1845年、グラスヒュッテ初の時計を製造したのはF.A.ランゲの会社でした。しかし、分業を基礎とするその製造方法は、ランゲがあらゆる種類の時計師を育てながら確立したもので、他の会社に時計の部品を供給するにも適していました。グラスヒュッテの伝統に従って時計を製造したドイツの歴史上のブランドには、J. Assmann/Glashütte i. SA(J.アスマン)、Deutsche Anker-Uhren-Fabrik(アンカー)、Uhren-Fabrik Moritz Großmann(モリッツ・グロスマン)、B. Junge & Soehne、Straßer & Rohde(シュトラッサー&ローデ)、Deutsche Ankeruhrenfabrik Richard Glaeser、Präzisions-Taschenuhren-Fabrik Ernst Kasiske、VEB Glashütter Uhrenbetriebe(VEBグラスヒュッテ (GUB))などがありました。現在、グラスヒュッテの腕時計製造会社は9社で、ブルーノ・ゾンレー・グラスヒュッテ、モリッツ・グロスマン、ミューレ・グラスヒュッテ、ノモス グラスヒュッテ、チュチマ ドイツ グラスヒュッテ、ヴェンペ・グラスヒュッテに加え、スイス法人に属するA.ランゲ&ゾーネ、グラスヒュッテ・オリジナル、ユニオン・グラスヒュッテも含まれます。
ノモス グラスヒュッテは、1990年にローランド・シュヴェルトナーが創立しました。1906年から1910年にかけてスイスの時計をグラスヒュッテに輸入し、「グラスヒュッテの時計」として販売したNomos Uhr-Gesellschaft Guido Müller & Co.の伝統と名称を併せて受け継ぎ、多くの賞を受賞しながら、現在ではノモスの腕時計製造および販売の最大95%をグラスヒュッテのシュロットヴィッツに所在する精密加工部門、エルベンハンに所在するノモスクロノメトリー部門、そして旧グラスヒュッテ鉄道駅で行い、ノモス グラスヒュッテは自社キャリバーを開発および製造する製造所になりました。さらに、ノモス グラスヒュッテの仕事はほとんどが手作業で、グラスヒュッテ最高の伝統を守っています。

グラスヒュッテの腕時計作りの所有者は?

今日、グラスヒュッテで腕時計を製造する9社のうち、ブルーノ・ゾンレー・グラスヒュッテ、モリッツ・グロスマン、ミューレ・グラスヒュッテ、ノモス グラスヒュッテ、チュチマ ドイツ グラスヒュッテ、ヴェンペ・グラスヒュッテの6社は、経営者が所有者です。A.ランゲ&ゾーネ、グラスヒュッテ・オリジナル、ユニオン・グラスヒュッテの所有者は、スイス法人です。ノモス グラスヒュッテは、1990年にローランド・シュヴェルトナーが設立し、現在の経営陣にはウーヴェ・アーレントとジュディス・ボロフスキーも含まれます。

グラスヒュッテの腕時計の特徴

グラスヒュッテの腕時計を見分ける方法は?

グラスヒュッテの腕時計は、ザクセン州グラスヒュッテで製造されるドイツ製腕時計です。「グラスヒュッテ」という記銘を許されるのは、全体の最低50%に当たる部分をこの町で製造した腕時計だけです。ムーブメントの組み上げと始動、微調整、文字盤の組み上げ、針の取り付け、ムーブメントのケーシングは、すべてグラスヒュッテで行わなければなりません。
グラスヒュッテの機械式腕時計の特質は、以下の技術的、視覚的特徴にも表れています。

  • 3/4プレート
    3/4プレートは、香箱からムーブメントのガンギ車に及ぶ一枚のプレートで、卓越した安定性を確保します。プレートの外部に出るのはテンプとアンクルのみです。
  • グラスヒュッテ式巻き止め機構
    グラスヒュッテ式巻き止め機構も代表的です。グラスヒュッテの腕時計の巻き上げ機構は、長くカーブした堅牢なはめ込み式ジャンパースプリングでラチェットを支えます。これも安定性の確保に寄与しています。
  • グラスヒュッテのアンクル脱進機
    脱進機の部品が屋根のようではなく直線上に配置されます。歯車のかみ合わせに必要な角度は、脱進機の一方のアームを短くし、アームにしっかりと埋め込まれた先細のピンで実現します。
  • 青焼きネジ
    やはり注目する価値があるのは、青焼きネジと針でしょう。コーンフラワーブルーの色合いはスチールを290℃に加熱することによって得られます。
  • サンバーストによる磨き上げ、その他の装飾手法
    グラスヒュッテの腕時計作りには、さまざまな装飾手法が使われます。サンバースト仕上げのラチェットホイールまたはクラウンホイールが代表的なもので、中央から放射状にカットが広がり、時計を傾けると光の入射角が変化し、文字盤が回転するように見えます。若干広めな表面には、ストライプカットやペルラージュも人気の仕上げ手法です。また、花柄などのエッチングをテンプ受け自体に施すこともよくあります。手の込んだ装飾は、昔も今も変わらず物づくりの純粋な喜びを贅沢に表現するとともに、一つずつすべてのコンポーネントが交換または修理可能なグラスヒュッテ製ムーブメントの長寿命を証明するものでもあり、その努力の価値は必ずあるのです。
  • 精度
    1910年に自分たちの天文台建設を委託する前から、グラスヒュッテの時計師たちは専用の時刻信号を利用していました。1880年以来、ドレスデンから毎週土曜日午前8時1分過ぎに送られる信号で、皆が振り子時計の時刻を合わせたのです。グラスヒュッテでは、歩度調整の仕事もクロノメーターの製造ばかりではなく、精密懐中時計や後の腕時計の製造に非常に重要でした。腕時計の微調整は、さまざまな温度と姿勢で行います。ノモス グラスヒュッテの腕時計は、6姿勢で調整され、クロノメーター規格による日差わずか数秒という精度を実現しています。

グラスヒュッテの腕時計とスイス製腕時計の違いは?

グラスヒュッテの機械式腕時計がスイス製同様に優れていることは、世界的に知られています。どちらの製造地も法律で保護され、そのためにグラスヒュッテの会社には、スイス法人に属するところもあります。しかし、グラスヒュッテの腕時計会社の大部分はスイスと無関係な独立企業です。ノモス グラスヒュッテも、自社製のノモススウィングシステムの開発以来、まったく独力でキャリバー製造を行なっています。

製造地と製品の境界制限について言えば、グラスヒュッテの製造地保護は、極めて厳格なジュネーブ製腕時計の品質証明に近いものですが、ジュネーブの品質証明には防水性能やパワーリザーブだけでなく、日付機能についても一定の数値が定められています。

グラスヒュッテ製の機械式腕時計は、3/4プレート(複数のブリッジによる設計ではなく)、サンバーストによる磨き上げ、青焼きのネジや針といった特徴で見分けることができます。もちろん、何より明確なのは「グラスヒュッテ」という文字盤の記銘で、これは少なくとも製造工程全体の50%をグラスヒュッテで実施した場合に限って使用することができます。
デザインと価格設定について言えば、グラスヒュッテの腕時計はデザイン、複雑機構、会社によってさまざまに異なります。しかし、グラスヒュッテの腕時計には、極めて高品質でありながら比較的手の届きやすい価格のモデルが数多くあります。ノモス グラスヒュッテで複数の受賞歴を誇るモデルの大部分は、1,000ユーロから4,000ユーロまでの価格帯です。

グラスヒュッテの腕時計はバウハウス?

バウハウス学校の教育思想は、芸術と職人の熟練技巧を一体化するものでしたが、その活動期間(1919年~1933年)中に自ら腕時計のモデルを制作したことはありませんでした。その意味では、真の「バウハウスの腕時計」は存在しません。しかし、スイスのマックス・ビルがドイツのユンハウスのために制作したデザインなど、バウハウス学校出身者による後世のデザインは実在します。全体的には、バウハウスの起源となったドイツ工作連盟運動による機能主義のデザイン言語も20世紀前半の文字盤や腕時計のデザインに影響を与えました。グラスヒュッテのA.ランゲ社に買収されたプフォルツハイムのWeber & Baral社の1937年型文字盤にも、特にこの影響が表れたものが一つあり、それが53年後、ノモスが初めて制作した腕時計のインスピレーションになったのです。

1990年、ノモスを創立したローランド・シュヴェルトナーは、グラフィックデザイナーのスザンヌ・ギュンターとともに初の腕時計のモデルについて調査を進めるうち、過去の出版物の中に1937年型文字盤のグラスヒュッテ版を発見しました。スザンヌ・ギュンターが原作の書体と比率を再調整し、1992年にノモスの初モデル、タンジェントが市場に登場しました。薄型で機能的、必要最小限の機能に焦点を絞った姿-バウハウス精神とともにドイツ工作連盟の精神にも溢れ、ノモスは同年に工作連盟に加盟しました。現在まで工作連盟は、素材と機能、形状、工業生産、そして社会的責任の間の関係を問いかけます。ノモス グラスヒュッテは、ドイツ工作連盟に加盟する唯一の腕時計製造者です。

グラスヒュッテの腕時計の価値

グラスヒュッテの腕時計は優れているのか?

まさにその通りです。高品質の材料、斬新なオリジナルキャリバー、精巧なデザイン、伝統的な製造方法で世界的に価値を認められた機械式腕時計です。「グラスヒュッテ」という製造地表示が法律的に保護され、価値生成過程の最低でも50%を同地で行うことを義務付けているのも、その理由あってのことです。

ノモス グラスヒュッテの機械式腕時計は、最大95%までグラスヒュッテに所在する自社製造所で製造され、2000年以来170回の受賞歴を誇ります。とりわけ、ジュネーブ時計グランプリ受賞をはじめ、シカゴ・アテネウムの建築デザインミュージアムによるグッドデザイン賞を7回、そして観客が選ぶ「ウォッチ・オブ・ザ・イヤー」賞も7回受賞しています。

グラスヒュッテの腕時計はなぜ高価なのか?

グラスヒュッテの腕時計は高いのでしょうか? グラスヒュッテの機械式腕時計は、2,000ユーロ未満のものから10万ユーロを超えるものまで、広い価格帯で提供しています。価格は、製造会社、材料、キャリバー、複雑機構によって異なります。ノモスの腕時計は、わずか1300ユーロ台からお届けしており、複数の受賞歴を誇る高精度キャリバーを搭載したものでも、ノモス グラスヒュッテの大部分の腕時計は4,000ユーロ以下でお求めになれます。そして本当に貴重な、精緻を極めたバージョンでも、小売価格は1万6,000ユーロに達しません。したがって、同等の品質を誇るスイス製腕時計などと比較すれば、グラスヒュッテの腕時計は高価ではないのです。

グラスヒュッテの腕時計の価格は上昇するのか?

腕時計の価値によって価格が上昇する可能性は、複数の状況に左右されます。高品質の材料で作られた機械式腕時計は、一つずつすべてのコンポーネントを修理可能で、注意深く大切に取り扱って定期的にメンテナンスすれば、永久に愛用でき、少なくとも価格が下がることはありません。事実、時の経過につれてグラスヒュッテの腕時計の価格が上昇することはよくあり、ゴールドの価格上昇だけでなく、その腕時計によるメリットや付随する体験などにもよります。特にノモスが定期的にお届けする限定エディションは、金銭的価値が上がる可能性が非常に高いのです。いずれにしても、手作業の技巧による高精度と美しさに投資する価値は確かにあるでしょう。

グラスヒュッテの腕時計はどの程度正確なのか?

グラスヒュッテの腕時計は、高い精度で知られています。機械式腕時計の正確性、つまりグラスヒュッテの腕時計の正確性はキャリバー次第ですが、温度の急変動、衝撃、気圧などの要素も関係します。ノモス グラスヒュッテの腕時計は、日差僅か数秒という精度を誇ります。グラスヒュッテの機械式腕時計の正確性については、こちらで詳しくご覧ください。